ペンネーム:ペパーミントさんからの質問
ジューシーさんはじめまして。私は性格的にあまり自分を強く出せず、つい遠慮してしまったり、本当は嫌なのに我慢してしまったりして、ハズレくじを引くことが多い気がします。恋愛においても、相手に尽くしすぎるのか、結局いいように振り回されて終わってしまう恋が多いです。こんな自分が嫌でたまりません。どうしたら変われるでしょうか?
善とは何かを考えてみる
さて、今回のお悩みは自己犠牲についてですね。相手を思いやるがゆえに自分を引いてしまうやさしい人に多い悩みよね。この世は正直者がバカをみたり、やさしい人が傷ついたりすることは往々にしてありますからね。ほんとに理不尽なシステムよ。なので、これはなかなか深いテーマです。実はあたくしも、ちょうどこのテーマについて考えていたところだったので、タイムリーだわ~先日、電車に乗っていた時の話なんだけどね。途中からシスター?らしき格好をした方が乗ってきたことがあったの。映画『天使にラブソングを』でおなじみの、白と黒のペンギンっぽいあの衣装あのまんまなザ・シスターよ!あたくしは座席に座っていたのだけどね、その方はちょっと微妙な位置に立っていらっしゃり、年令的にも非常に微妙な感じだったこともあって、席を譲ろうかどうしようか迷いました。
どうしようかしら…みんな譲らないわね…確かに微妙なお歳っぽいし、譲るべきか譲らざるべきか悩ましいわ。でも、シスターだけに人々の慈悲心を試していたりするかもしれないわ!やはりここはひとつ、素直に譲って…いや、まてよ?逆に人々に奉仕するのがシスターの徳なわけだから、譲るのはシスターの徳を奪うことになるから逆に失礼かしら?てか、もしかしたらシスターのコスプレをした、ただのおばちゃんかもしれないし…ちょっと待って?シスターだから譲るの?それもそれでおかしくない?ああ…悩ましいわ…
などと、数秒の間にすごいスピードでモヤモヤし善行について考えました(笑)
えーい!うるさい!どっちでも良いわよ!
ジューシー!あんたはどうしたいの!と、あたくしの良心が叱ってきたので、結局、「よかったらどうぞ~」と席をお譲りしましたけど(笑)
まあこれは、モヤるくらいなら譲っとけ!って感じの行動ですので、自己犠牲や善行とは程遠いのでしょうが、結局は自分が善だと思ったことをやるのが善だとあたいは思うし、この葛藤があったことで、自己犠牲についてちょっと深く考えることもできました。
キリストが伝えたかったこと
自己犠牲の代表格と言えば、イエスキリストよね。彼は人々の罪を背負い、自らを犠牲にして十字架に張り付けになったわけだけど、キリストを愛していた人達は、その時どんな気持ちだったのかしら?マリア様は?信者達は?いったいどんな想いで愛する人のはりつけを見ていたのかしらね…
もちろん、無償の愛や自己犠牲の精神は素晴らしいし尊いわ。なかなかできることではないし、とっても崇高な精神よね。でも、その自己犠牲の片隅で、悲しんでいる人がいることを忘れないでいて欲しいとあたいは思うの。あなたが身をけずって、自己犠牲をしているその横で、あなたを愛する大切な人の涙があることを…
私なんてどうなってもいいの…あの人がシアワセなら…って感じの自己犠牲は、恋愛でもよくあるわ。でもこれっていきすぎると自虐行為と紙一重だと思うのよ。もちろん、相手のシアワセを願うのが愛ですから、それはそれで素晴らしいのだけどね。自身のシアワセはちゃんと願ってあげてるかしら?自己をないがしろにして他者にばかり尽くしていても、結局ハッピーは生まれないわ。尽くされた方も重いでしょうし。キリストが伝えたかったのは、自身をないがしろにするような自己犠牲ではなく、『自身に正直に生きること』だったのではないかしら。
背筋伸ばして生きてくだけよ!
社蓄やDV、自殺やひきこもりなんかも、根っこをたどれば自己犠牲の極まったカタチです。なかなか難しいテーマですけどね。やはり何事も偏り過ぎず、バランスが大切なのだと思います。まずは、あなた自身がシアワセであることを大切にしてくださいね。そして、無理の無い範囲で自分なりの善を積んでいけばそれで良いのよ。たとえ自己犠牲のようなカタチになって、いろいろと損をしたり、ハズレくじを引いたとしても、どうか悲しまないでください。自身の良心に背くことなく、あなたは善をなしたのだから、それでオッケー!あっぱれよ!それはとても崇高な徳となり、必ずあなたに返ってきますから。自分に正直に生きたんだから、これでいいのだ!と胸をはって、信じた道を歩いていきましょうね!大丈夫!あなたの努力とやさしさを天は必ず見ています。